
当教室参加者に求める人物像:
「自発的執念に基づき努力を継続する者」

何故参加者に対して「努力力」を条件とするのか
けん玉教室において指導できることは右に示す通り、心技体を始めとして多々あります。一方でなにも指導者は参加者の体を超能力でコントロールする訳ではありません。けん玉をするのは参加者自身です。従ってどれだけまともな指導をしたとしても、当の本人にやる気がない・努力しない・目的がないというのであれば、成果が出ることはありません。これはけん玉に限らず当たり前のことです。関係のない他者にとって努力しないのは本人の自由であり、やりたくなければやらなければいいだけです。また当教室はその設立目的が「けん玉による向上の追求」であるため、体験や遊びといった概念はそもそも論外です。
また、よくある勘違いは「そういった面も含めて教えてくれるのではないか」というものです。
では、あなたは興味のないものに言われたからとやりたくなりますか?
どうでもいいものに時間を裂きますか?
価値を理解しないもののために辛い思いをしますか?
…間違えなく全てNOでしょう。
社会常識や一般知識であれば好もうと好まざると、それは生きていく上で身につけるべきものであり、社会生物たる人間の義務です。しかしけん玉は義務教育ではありません。やりたくなければやらなければいいだけです。
また努力しない人も、初めから上手くなることはないでしょう。
理由は単純です。「たかが隔週につき3時間ごときで身につけたものが、他人から上手いと言われるに値するか」という話です。どのような芸道・武道であったとしても、その程度の労力では全くのカスです。
方向性や内容は指導者が示すことができます。しかし、教室外において自主的に努力を継続するかどうかは結局のところ本人の意志によります。褒められるわけでもなく、誰に強制されるでもない、地道な努力です。それをするには、自主的なやらなければならないという執念かつ理由が必要です。
何事も達成するには、「本人の確固たる意思」と、「論理・技術・実践」が不可欠です。後者に関しては教室という場ですから、学ぶことができます。ですが、前者は参加者自身の心身そのものです。
だからこそ問います。「何故あなたはけん玉に取り組む必要があるのか」。
それが曖昧では当教室で学ぶ価値はないでしょう。

努力しない者は何も達成できない
分りやすくするためここでは「努力=目的のために情熱と努力を以て継続すること」と定義しましょう。
現代では努力というのは、どうにも駄目なものと言われることが多いです。しかしそれを言っているのはすべからく
①努力という言葉の意味を理解していない、
②努力しない輩が周囲の足を引っ張るために言っているだけ、
③努力し達成した人間にとって脅かされず都合のいいように、
のどれかです。
「努力できることも才能」⇛嘘
これは単に努力する気がなく努力もできない人が、周囲に置いていかれないための吹聴であり、また努力しない理由を外部のせいにしているだけです。こういうセリフを言う人のようになりたいですか?それでいいなら何もしなくて良いでしょう。同じようになりたくなければ、反面教師として努力が必要だと何よりも証明しています。
「努力したとしても成果が出るとは限らない」⇛嘘
これはそもそも努力していないか、正しい努力をしていない例です。けん玉界にも確かに根本的知識のない間違ったやり方でやり続けてどうこう言ってる人がいます。闇雲にやることは努力とはいいません。正しい知識・正しいやり方を積み重ねる努力をしたときには、必ず何かしらの成果が出ますし、間違えなく「努力できる人間である」という何よりも汎用性の高いスキルが身につきます。
「努力は辛く苦しい」⇛嘘
これは他人から言われたことをやることを努力と勘違いしています。他者に言われたことやルールを守ることは努力ではなく、ただの義務です。本当の努力は、自らの目的や情熱のために自らを向上させることを言います。ゲームではレベル上げという行為があります。現実世界では全く意味のない事柄であるにも関わらず、多くの人は努力してやるでしょう。これはゲームに目的や情熱を注がせる仕組みが含まれているからです。多くの人は人生というゲームの中に自らがあること忘れています。仕組まれた目的も情熱もありません。しかし情熱を持ち、目標が見えたときには、正しくゲームのように夢中で努力=レベル上げができます。けん玉でそれができないのであれば、少なくとも必要なのがけん玉ではないか、努力以前のなにか不足があるのでしょう。
「努力・忍耐・根性は時代遅れ」⇛大嘘
これは本当に大嘘です。問題になるのは科学的根拠・理論的説明・具体的意義がない場合においてです。これらがない根性論は害悪でしかありません。しかし一方でいくら科学性や理論性があろうとも、結局それを用いて何かを達成するのは個人の努力によってです。どれだけ正しい科学理論があろうとも、それを自らのものとし自らの向上に用いることができなければそれはただの文字です。読んだだけ、聞いただけでできるわけがないのですから、科学的に正しいとされる示唆を自らの血肉に変換するために、根性と忍耐を以ての努力は不可欠です。
現代は金さえ払えばどんな刺激もどんな快楽も買うことができます。「都合の良い消費者」が増えたほうが才能と努力のある者にとっては都合がいいので、今どき努力など他人は求めないでしょう。それに人が本物の努力しようとしまいと他人にとってはどうでもいいことです。けん玉の世界でもそういうビジネスはあります。
それでいいのなら、そうすればいいだけのことです。
ですが忘れてはいませんか。自分の人生の主人公は自分自身です。操作されるのはザコの宿命であって、主人公というのは自ら運命を切り開くものです。自分自身のレベル上げをしましょう。そのための努力をしましょう。レベルは上がることはあっても下がることはありません。
人生の目的に、人生の情熱に、人生が何たるかを知るために、けん玉が必要であるのなら、我々とともに「けん玉人生ゲーム」の主人公のレベルを上げる努力を今すぐしようではありませんか。